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3-2 記憶の中に眠る恐怖 2

last update Last Updated: 2025-04-28 22:48:30

 念の為にと持参していたシートに並んで座りながら二人は海を見ていた。

真冬の海なので、人の姿はない。真っ青な水平線の海は青空の下、良く映えた。

「渚君、冬の海って何だか綺麗に見えない?」

風に吹かれた髪の毛を押さえながら千尋は渚に尋ねた。

「そうだね。人もいないからゴミも無いし。だから余計に綺麗なんだろうね」

「渚君の両親て、海が好きな人だったんじゃない? だって『渚』って名前付ける位なんだから」

「さあ、どうなんだろう? 僕にはよく分からなくて……」

渚は曖昧に返事をしたが、顔が強張っている。

「渚君? どうしたの?」

「え? 何が?」

「何だか顔色が悪いみたいに見えるけど……?」

「そんな事、無いよ……」

渚は笑みを浮かべたが顔は青ざめている。

「もしかして具合が悪いの? もう帰ろうか?」

「うん……ごめんね。千尋」

渚は何とか立ち上がったが足元がふらついている。

「く……」

額には汗が滲んでいた。

「ねえ、渚君。無理しないで、少しここで休んでいこうよ?」

すると渚は子供の様に頭を振った。

「嫌だ……。この場所から離れたい……」

「……分かった。それじゃ私に掴まって?」

千尋は渚の大きな身体を何とか支えながら海から遠ざかっていく内に少しずつ渚の顔色が良くなってきた。

****

「大丈夫?」

渚を休ませる為に近くのファストフード店に入ると千尋は心配して尋ねた。

「ごめんね……千尋。折角二人で楽しもうと思ってたのに」

「渚君……。ひょっとして……」

海が怖いの? 千尋はそう尋ねたかったが、言葉を飲み込んだ。ようやく体調が良くなったのに、余計な話をして再び渚の体調を悪くさせるにはいけない。

「何?」

コーヒーの入った紙コップを手に渚は返事をした。

「うううん、何でもない。コーヒー飲んだら帰りましょ?」

「そうだね。明日からお互い仕事だしね。今夜の食事は何にしようかな……」

「今夜も夜は冷えそうだから、お鍋なんてどう?」

「それはいいねー。千尋はどんな鍋が好き?」

「鍋料理は何でも好きだよ? 渚君は?」

「それじゃ、今夜は海鮮鍋にしよう。帰りに駅前のスーパーで材料買って帰らないとね」

 その後二人は再び電車を乗り継ぎ、地元スーパーで海鮮鍋の材料を買い込んで帰路に着いた——

****

 二人で並んで台所に立ち、鍋の準備をしている。そんな渚を千尋は横目で見てみると、鼻
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    渚が仕込んだ味噌味の海鮮鍋は最高の味だった。「やっぱり渚君が作った料理は最高だね。流石調理師免許持ってるだけのことはあるね」千尋は鍋料理を笑顔で食べている。「ありがとう。千尋が選んだ日本酒も美味しいね~」「フッフッフッ。この日本酒はね、東北地方にある蔵元が作った日本酒なの。フルーティーで、とても日本酒とは思えない口当たりの良いお酒なんだよ。若い女性の間で大人気なんですって。だからついつい飲み過ぎちゃうんだけど」「ははは……。千尋は本当にお酒が好きなんだね。でも明日から仕事なんだからあまり飲み過ぎない方がいいよ?」「そうだね、また今度一緒に飲もうね。この先いつでも飲めるんだもの」「この先いつでも……か」一瞬渚の顔に影が差した。「どうしたの?」「ううん、何でもないよ。温かいうちに食べてしまおう?」 ****——食後「ほら、渚君はもう今夜は休んで」「でも片付けは僕がやるよ」「何言ってるの? 今日海で具合が悪くなったでしょう? 私がやるから大丈夫だってば」 食事が済んだあと、片付けをすると言って聞かない渚を千尋は無理に部屋に追いやった。渚は最後まで自分がやると言って聞かなかったが、やはり体調がまだ優れないのか最終的には千尋の言うことを聞いて部屋に戻って行った。「そうだ、どうせなら洗濯もしちゃおう」以前録画しておいたドラマを観ながら千尋は洗濯機を回した。  それから約1時間後、洗濯を干し終えた千尋が自分の部屋へ戻ろうとしたその時。「う……うう……」渚が使っている部屋から苦しそうな呻き声が聞こえてきた。「え? 渚君?」(もしかして具合でも悪いのかな?)「渚君、大丈夫?」声をかけてみたが返事は無い。それでも苦しそうな渚の声が聞こえる。「渚君、入るね」千尋は引き戸を開けた。中へ入ると渚はベッドの上で酷くうなされている。「渚君! しっかりして!」千尋は渚の枕元に行くと声をかけた。渚は苦しそうに寝言を言っている。「い……嫌だ……。助けて……」「渚君!」千尋は必死で渚を揺さぶった。その時である。「ハアッ……ハアッ……!」渚が突然目を開けて千尋を見た。そして一瞬泣きそうに顔を歪めるとベッドに横たわったまま千尋を腕の中に抱き込んだ。「キャアッ!」千尋は渚の身体の上に乗るような形になってしまった。「な、渚君……?

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-2 記憶の中に眠る恐怖 2

     念の為にと持参していたシートに並んで座りながら二人は海を見ていた。真冬の海なので、人の姿はない。真っ青な水平線の海は青空の下、良く映えた。「渚君、冬の海って何だか綺麗に見えない?」風に吹かれた髪の毛を押さえながら千尋は渚に尋ねた。「そうだね。人もいないからゴミも無いし。だから余計に綺麗なんだろうね」「渚君の両親て、海が好きな人だったんじゃない? だって『渚』って名前付ける位なんだから」「さあ、どうなんだろう? 僕にはよく分からなくて……」渚は曖昧に返事をしたが、顔が強張っている。「渚君? どうしたの?」「え? 何が?」「何だか顔色が悪いみたいに見えるけど……?」「そんな事、無いよ……」渚は笑みを浮かべたが顔は青ざめている。「もしかして具合が悪いの? もう帰ろうか?」「うん……ごめんね。千尋」渚は何とか立ち上がったが足元がふらついている。「く……」額には汗が滲んでいた。「ねえ、渚君。無理しないで、少しここで休んでいこうよ?」すると渚は子供の様に頭を振った。「嫌だ……。この場所から離れたい……」「……分かった。それじゃ私に掴まって?」千尋は渚の大きな身体を何とか支えながら海から遠ざかっていく内に少しずつ渚の顔色が良くなってきた。****「大丈夫?」渚を休ませる為に近くのファストフード店に入ると千尋は心配して尋ねた。「ごめんね……千尋。折角二人で楽しもうと思ってたのに」「渚君……。ひょっとして……」海が怖いの? 千尋はそう尋ねたかったが、言葉を飲み込んだ。ようやく体調が良くなったのに、余計な話をして再び渚の体調を悪くさせるにはいけない。「何?」コーヒーの入った紙コップを手に渚は返事をした。「うううん、何でもない。コーヒー飲んだら帰りましょ?」「そうだね。明日からお互い仕事だしね。今夜の食事は何にしようかな……」「今夜も夜は冷えそうだから、お鍋なんてどう?」「それはいいねー。千尋はどんな鍋が好き?」「鍋料理は何でも好きだよ? 渚君は?」「それじゃ、今夜は海鮮鍋にしよう。帰りに駅前のスーパーで材料買って帰らないとね」  その後二人は再び電車を乗り継ぎ、地元スーパーで海鮮鍋の材料を買い込んで帰路に着いた——**** 二人で並んで台所に立ち、鍋の準備をしている。そんな渚を千尋は横目で見てみると、鼻

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-1 記憶の中に眠る恐怖 1

     クリスマスも終わり、新しい年が始まった。千尋と渚は年末は家中の大掃除をし、新年は初詣に二人で出かけた後はお互い本を読んだり、カードやボードゲームで遊んだりと、好きなことをしてのんびり過ごした。そして休みの最終日――「ねえ、千尋。明日二人で一緒に出掛けない?」渚が外出を提案してきた。「うん、いいね。でも出掛けるって何処へ行くの?」「前に僕が千尋と行ってみたい場所を色々話したの、覚えてる?」「うん。覚えてるよ」「それじゃ、水族館に行ってみたいって話したことは?」「勿論、ちゃんと覚えてる」「早速行ってみようよ!」****  電車を何本か乗り継ぎ、1時間以上時間をかけて二人は水族館にやってきた。この水族館は海沿いに建てられ、眺めも最高な場所にある。館内に入ると、中は子供の姿は殆ど見えず、若い男女のペアばかりだ。皆腕を組んだり、手を繋いでいる。「「……」」千尋と渚は顔を見合わせた。「手……繋ごうか?」渚が手を差し伸べてきたので千尋は遠慮がちに手を繋ぐと、渚は指を絡めてしっかりと握りしめてきた。千尋は驚いて渚の顔を見上げたが、渚は横を向いて目を合わせない。けれどその耳は赤く染まっている。なので千尋もキュッと握り返すと、渚がこちらを向いた。「行こうか? 渚君」二人で薄暗い館内を歩きはじめた。巨大な水槽が照らされて色鮮やかな熱帯魚の泳ぐ姿やエイが優雅に泳ぐ姿、大きな白熊や可愛らしいラッコ・ペンギン……それらを二人で見て回る。 最後にイルカやアシカのショーを観覧したところで、海沿いのカフェで二人でランチを食べることにした。千尋はクラブサンドセット、渚はハンバーガーのランチプレートをそれぞれ注文をした。 「楽しかった? 千尋」「うん、とっても楽しかった。水族館なんてもう随分昔に行ったきりだったから」「誰と一緒に行ったの?」「う~ん。高校生の時付き合ってた人だったかな? でもその人とはあまり長くは続かなかったんだけどね」「千尋、付き合ってた人いたの?」渚は驚いたように尋ねてきた。「う、うん……。そうだけど?」「そっかー。残念だなあ」「何が残念なの?」「僕が千尋の初めてのデート相手じゃなくて」「デート……? デート!?」(そっか、これって一応デートに入るんだ。ちっとも意識してなかった)「あれ? そう思ってたのは僕だけだっ

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   2-30 クリスマスイブの抱擁 3

    「千尋……怪我は無い?」「う、うん。大丈夫。」「良かった……」渚は千尋を思い切り強く抱きしめると安堵の息を吐いた。「な、渚君……もう大丈夫だから。は、離して……」「え?」その時、初めて渚は千尋を抱きしめているのに気が付いたのか、顔を真っ赤に染めて慌てて千尋を離した。「ご、ごめん……。千尋が心配になって、つい……」「い……いいよ。そんなこと気にしなくて……あ! 大変! 鍋が噴きこぼれそうだよ!」「うわ! ほんとだ!」渚は慌ててガス台に戻り、火を弱めて料理に続きを始めた。その姿を見ていた千尋の心臓はドキドキいってる。(びっくりした……。まだ渚君の匂いが残ってる気がする……) パスタも出来上がり、テーブルの上には他にサラダとチキンが並べられた。ケーキは食後にと冷蔵庫に冷やしてある。椅子に座ろうとすると、渚が話しかけてきた。「そうだ! いいものがあるんだ」そう言うと席を立ち、大きな紙袋を持って戻ってきた。「なあに? それ?」「ほら、小さいけどクリスマスツリー買って来たよ」それはテーブルの上の乗りそうな小さなクリスマスツリーだった。「わあ。可愛い」千尋が喜ぶと更に渚は言った。「まだあるよ。はい、クリスマスプレゼント。…気に入るかなぁ?」渚は小さなラッピングされた袋を手渡した。「え? 私に?」千尋が中を開けてみるとそれは可愛らしい犬のデザインのネックレスだった。「犬の……」「うん、千尋は犬が好きなんだよね? だから探して買ってみたんだ。つけてあげるよ」渚は千尋の背後にまわり、ネックレスをつけると鏡を見せた。「良く似合ってるよ、千尋。すごく綺麗だよ」熱を帯びた渚の話し方に胸の鼓動が高鳴る。「あ、ありがとう」何とか、それだけを必死に言った。「実は私からもプレゼントがあるの」千尋は足元に置いておいた紙袋を渚に手渡した。「開けていいの?」渚の問いに千尋は黙って頷いた。「これは……」そこに入っていたのはダークグリーンのマフラーだった。「もしかして手編み?」「お店の休憩中に毎日、ちょっとずつ……ね。気に入ってくれるといいけど」渚はマフラーを巻き付けると笑顔を向けた。「勿論だよ! 僕の一生の宝物だよ」「一生だなんて、大げさだよ」「僕がどれほど今幸せか…言葉では言い表せない位だよ。ありがとう、千尋」その後、

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   2-29 クリスマスイブの抱擁 2

    「うわ……ほんとだ。俺とタメかよ。なら敬語なんていらないな?」里中は少しだけ口元に笑みを浮かべた。「うん……? それにしても何だかここに写ってる写真と、今のお前雰囲気が違う気がするな」顔の作りは全く同じだが、目の前にいる渚は終始笑顔で人懐こい印象がある。一方免許証に写る渚の顔はどことなく目つきが鋭く、やさぐれた印象を与える。「僕は写真に写ると、少しイメージが変わるんだよね」渚は免許証をひったくるように里中の手から取り上げた。「それじゃ、そろそろ僕は帰るね。冷蔵庫にヨーグルトとイオン飲料を入れておいたから良かったら飲んで。あ、それから冷凍食品も幾つか買ってあるよ」「そんなに買ってきてくれたのか。悪い、今金を……」「あーそんなの大丈夫だから。お金は近藤さんから貰ってあるから。本当、いい人だよね。近藤さんて」「ああ…お前もな」「いいんだよ、気にしないで。あ、それから今夜のクリスマスパーティーも中止にしたよ」「え? どうして?」里中は首を傾げた。「千尋が言ったんだ。折角のクリスマスパーティ、里中さんが一人出席できないのは気の毒だから今回はパーティーに参加しないって言ったら、その流れで中止になったんだよ」「! そんな、俺一人のせいで……。ほんと、俺って駄目だな。お前にも変な嫉妬心なんか持って……」「里中さんはすごくいい人だと僕は思うよ。職場での評判すごくいいんだってね。お年寄りの患者さん達をすごく大切にしてくれてるって。だから……僕も思ったんだ。この先、僕にもしものことがあったら……千尋のことよろしくね」渚の顔に影が落ちる。「お前、またそんなこと言って……。一体どういう意味なんだよ」「別に、言葉通りの意味だよ。僕はずっと千尋の側にいる事は出来ないんだ。でも、この話は絶対に千尋にはしないでね? 心配させたくないから」「だから、どうして千尋さんの側にずっといられないって言うんだ?」納得できず、里中は追及する。(こいつ……何て顔してるんだよ。でもこれじゃ、無理に聞けないな)「分かったよ。俺もこれ以上聞かない、約束する」すると、渚の顔にほっとした表情が浮かんだ。「ありがとう、じゃあ帰るよ。ちゃんと休まないと風邪治らないからね?」「ああ、分かってるよ。サンキューな」渚は玄関のドアを開けて出て行った。里中は渚が出て行くのを見届けると再

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   2-28 クリスマスイブの抱擁 1

     こんなはずじゃなかったのに——クリスマスイブ、里中は高熱を出してワンルームマンションの自分の部屋で寝込んでいた。「くっそ……頭がズキズキする………」前日の夜、クリスマスパーティーのことを考えると興奮して眠れなかった里中。コンビニで買って来た度数の強いアルコールを部屋で飲み、そのまま布団もかけずに眠ってしまった。そして朝起きた時には酷い風邪を引いていた。何とか職場には風邪の為に出勤出来ない旨を話し、近藤にも詫びを入れて貰うように主任に電話を入れる事が出来たのだ。(先輩、すみません……)熱で朦朧となりながら心の中で近藤に謝罪した。時計を見ると昼の12時を少し過ぎた頃だった。「あ~腹減った……」高熱を出しているのに空腹を感じるとは皮肉なものである。しかし普段殆ど自炊等したことがない里中の家の冷蔵庫は缶ビールと牛乳が入っているのみである。こんなことなら普段から何かあった時に食べられる冷凍食品でも買い置きをしておけば良かったと里中は思った。「う……トイレに行きたくなってきたな……」本当は布団から出たくは無かったが、我慢する訳にはいかない。何とか起き上がると、壁伝いにトイレへ向かう。「……」そしてトイレから出て布団に戻る途中で里中は意識を無くして倒れてしまった——****「ん……?」次に目が覚めた時は布団の中だった。額には熱さましシートが貼られている。ふと、誰かが台所に立っている気配が感じられた。「誰か、いるのか……?」その時。「あ、気が付いたみたいだね?」台所から顔を出したのは渚であった。「な? お、お、お前……どうして俺の部屋に?」里中は布団から起き上がりながら尋ねた。「あ、まだ起きない方がいいよ。里中さん、部屋で倒れてたんだよ。熱だってまだ高いし。でも目が覚めて良かったよ。風邪薬買って来たから枕元に置いておくね」渚はお盆に水の入ったコップと風邪薬を枕元に置いた。「悪いな。ところでさっきも聞いたけど、どうして間宮が俺の部屋にいるんだ?」「お昼を食べに来た近藤さんから聞いたんだよ。里中さんが高熱を出して寝込んでいるから心配だって。様子を見に行きたいけど今日は人手不足で手が足りなくて抜けられないって聞かされたんだ」「うん、で? それと間宮がどんな関係があるんだ?」「幸い、僕の部署は今日手が足りてるから一人ぐらい居なくても

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